季節

マグカップと日常と

「うそ…やっちゃった。」 カバンを片手に取り、急いで家を出ようとした彼女の後ろでガチャンという音がした。出勤前のせわしない時間。 とっさに振り返ってみると、そこにはお気に入りだったマグカップの破片が散らかっていた。すぐにでも片付けたいけど、「…

雪解け

長かった冬も終わり、新しい息吹が雪の間から、ひょっこりと顔を出す。 赤茶けた地面がぬかるみ、雪解け水が大地へと染み込む。 やがてこの雫が春には、大地の底から木の根によって吸い上げられ、幹を通り、新緑の葉から空気に散って、雲となり、また大地を…

気配

つかみそこねた右手。いつもそこで目が覚める。何の夢だったのかも思い出せない。でも何か大切なモノを、手放してしまったのかもしれない… 不安がよぎる。窓の外で枯葉が、風でカサカサと震える。 不安を振り払うかのように、ベッドから抜け出し、いつも通り…

ハッピー

私、今とても幸せ。だって彼が大好き。彼にギュッとされると、フワッとしちゃう。でも、すごくホッとする。ずっとこうしていたいの。だって彼が大好き。すごくいい匂いがする。彼が大好き。 とても幸せだよ。彼女が僕を想っていてくれる。何て言えばいいんだ…

あの日のフォークロアー

- 物質の記憶- それは、とても不思議な天気の日だった。 突然の雨に足止めをくらった僕らは近くの喫茶店に入った。店内には、僕と彼女、そして向こうの席にはカップルが1組。席に通されて落ち着くと、彼女は言った。 「…変な話してもいい?」僕はこくりとう…

映画

「映画って、ハッピーエンドだとつまらないのよね。」 ポテトフライに手を伸ばしながら彼女は言った。映画館帰りの、喫茶店での一言。普段の楽しげな君には珍しい言葉だった。 「そうかもしれないね。」僕は返した。 ただ君は今、遠くをボーと見ている。その…

プリズム

この思いは伝わらない。 はかない願いは瞳の上で七色に分かれ、黒いレンズに吸い込まれ、雫になってこぼれ落ちる。 いくつもの波紋が広がり、水面に落ちた音は冷たい空間に幾重にも反響する。 別れ出た音はふわっと白く輝き、淡く浮かび上がった思い出を、や…

少女

この石を君にあげよう、男は言った。彼女はそれを受け取り、純粋な眼をして見つめる。 彼女は売春婦。もうずっとこの粗末な小屋で客を待つだけの生活。ある日突然何も分からず連れてこられた。このあたりの地域ではよくある話だ。生きるためにはどうしようも…

ニュース

土曜の朝、トーストが焼ける匂い。ベッドの傍らにはまだ彼女のぬくもりが残っている。彼女の残り香をたどって、ベッドを抜け出し髪ををボサボサをかきながら、キッチンへと向かう。 彼女は僕に気づき、ふわっと表情を柔らげる。 おはようと互いに言葉を交わ…

二人

そこにいるはずのなのに、ふれあえない。空を切る手。彼女はアメ細工のように、美しく透き通る。 何かを話しかけてくるが聞こえない。僕もこの言葉を伝えようとするのだけども、分からないと言うような、困った顔をする。 困り果てて頭を抱え込んだ僕に、彼…